コロナ禍のドイツ留学記

ドイツ留学にまつわるエピソードを書きます。

渡航前②

こんにちは。パナップです。

 

前回はコロナで留学が一年延び、先が分からず欝々としていた時期について書きました。今回は、留学2か月前に大学から「渡航確認シートを提出して、専攻の全教員から許可をもらえれば留学いけるわよ!!」とのお達しが来たところから飛行機に乗る前の話をします。

 

まずこの渡航確認シート云々のメールは全く何の前触れもなく2か月前に、大学の国際交流課の方から留学内定者に届きました。正直諦めていたのですが、少しでも希望が見えたので逃すまいと、そこから急ピッチで準備を始めます。

  • 渡航確認シートの作成、担当教員からの修正を数回
  • 大学寮からの退去の旨をハウジング課・管理人さんに連絡
  • 誓約書、単位互換申請書の記入(保護者のサインがいるため、実家に郵送)
  • 航空券の手配(コロナの関係で空港外で過ごせないため、トランジットの時間が短いものを選ぶべし。私はエミレーツ航空を使いました)
  • パスポートの更新(これに関しては昨年行っていたので必要なし)
  • 通常時奨学金を下さっている財団に連絡、留学時に奨学金を下さる財団に連絡および留学計画書の再提出、ユーロでの奨学金の支給決定書をお願い(Aufenthaltstitelの申請時に滞在費用の証明として使用するため)
  • 住民票、学生納付特例制度の確認(私の場合滞在期間が10ヶ月のため、住民票を移す必要はなく、学生納付特例制度も帰国後に申請すれば問題ないとのこと)
  • アルバイト先に辞める旨を連絡、引継ぎ
  • 「付帯海学」と呼ばれる留学保険の手配(約9万円)、OSSMAの登録(29000円)
  • 留学先大学の準備セミナ―受講、留学先の大学寮のデポジット振込(私はWISEを使いました)
  • 実家に荷物送付
  • 郵便局で転送届をもらい、実家に設定

上記のようなこと時間がかかるものから進めます。

個人的に今後ドイツに留学する人に伝えたいのが、保険とOSSMAについてです。知っての通り交換留学の場合、ドイツの公的保険に入る必要があるのですが、結果から言うと付帯海学の保険をTechinikerなどの保険会社にサイトを通じて送ると、”Befreiung von der Krankenversicherungspflicht" (保険義務の免除)という紙が郵送でもらえ、ドイツの公的保険に入る必要がなくなります。今までは直接保険会社に出向いて作ってもらうこともできたそうですが、今はweb上で行うので注意してください。この紙と本来の保険証明書でAufenthaltstitel(入国後三か月以内に外国人局に申請する滞在許可証)を取ることができました。ただしこれに関しては、歯の治療や妊娠にも対応しているかという点が見られるのと、正式なやり方ではないので、自己責任で行ってください。逆に留学保険に入らず、ドイツの公的保険にのみ入るというのもありだと思います。

OSSMAは日本エマージェンシーアシスタンス株式会社の留学生危機管理サービスで大学の方から加入するように勧められるのですが、はっきり言って10ヶ月で29000円もかかるのに何の役にも立ちません。これは保険ではないので何か起こったときも口頭でのアシストはしてくださるそうですが、金銭的な物事には介入できません。また主なやり取りは電話のみで国際電話の際にどちらからかけても有料というようなSIMに入っている人からしたら、かなり負担になります。先ほどの付帯海学ではLINE電話やメールでのやり取りができるので、事故や怪我をした際にOSSMAを使うことはありません。OSSMAのアプリケーションでは、電話機能・位置情報送信・海外のニュース閲覧のみしかできません。友人数名に聞いたところ、2か月しかなかったので間に合わなかったとの理由で入っていなかったですが、何も問題は起きていませんので、正直加入しなければよかったと思っています。だれかOSSMAの有益な使い方を知っている方がいらっしゃれば教えてください。

もし質問等あれば受け付けますのでお気軽に。

 

渡航前①

こんにちは。パナップです。

本来は2020年9月からドイツに渡航し、1年間留学し、帰国後1年かけて就活、5年で卒業を予定していましたが、コロナにより1年遅れで留学することになりました。その間どのような心境の変化があったのか、何が問題になったのか、現在何をしているのか、帰国後どうするかなどを何本か連続して投稿していきたいと思います。

 

2020年3月にコロナが流行り始め、正直9月までには何とかなるだろうという甘い考えをもっていました。しかし7月ごろに大学から正式に渡航中止の連絡が来ます。その際、問題になったのが、①卒業までのスケジュールの変化、②住居の変更、③奨学金内定の保持、④部活・サークルの存続でした。

 

①に関してはおそらく2020年留学を予定していた人全員が大いに悩んだことと思います。というのも3年の後期から留学を予定していた人にとって、もし3年後期・4年前期までに留学をスタートできなかった場合、5年で卒業しようと思うと留学中に就職活動をする必要があるからです。また留学を完全に諦め、4年での卒業を目指す場合は、その時点で夏インターンなどに申し込み、就職活動をスタートする必要があります。

いずれにせよ今後の方針をすぐに決める必要がありました。私は高校生の時からドイツに留学に行きたいと考えており、留学を諦めることはできませんでした。しかしながら渡航中止の状態がいつまで続くか分からず、就職活動をせずにただ渡航許可が下りるまで待つというのも非常にハイリスクで、本当に2022年卒になるか分からないまま就職活動を続けていました。また同時に、具体的に留学中にやりたいことがあったため、留学を諦めることが苦痛で海外大学院に進学することや一旦就職して貯金した後再度大学院に進み、在学中に留学など他の選択肢も模索しました。

 

②は個人的に運悪くキャンパス移転のため寮を出る必要があり、いつまで日本に居るかによって、住居の決定に大いに影響が出る状態でした。(半年しか住まない場合解約金がかかる可能性がある)また度重なる緊急事態宣言によりアルバイトの収入が大幅に減っていたため、私にとっていかに安く引っ越しや家賃を安く済ませるかというのは重要な問題でした。

 

③についても、奨学金の内定をもらっていた人にとって気になる問題だったと思います。私の場合2セメスター間で留学を予定していたのですが、最初に予定していた2セメスター目も留学ができないと判明すると(1月ごろに通知)、内定を来年に持ち越せる奨学金(A)と内定が無効になり、1から申し込みが必要になる奨学金(B)の2つのタイプに分かれました。

私の場合は、Jasso(B)、某保険会社の内部留学奨学金(A)、業務スーパージャパンドリーム(A)から奨学金の内定をもらっており、本来はJASSO(月8万円)と保険会社の奨学金(月8万円)で留学に行こうと考えていたのですが、2度渡航が中止になった段階で今後在学中に留学に行けることはほぼないだろうと悲観していたため、もう一度最初からJASSOに申し込むことはあまりにむなしくてできませんでした。その時点で保険会社の奨学金業務スーパー奨学金になるのですが、業務スーパーは他団体の奨学金との同時支給ができないため、より額の大きい業務スーパーからの奨学金(月15万円)をもらうことになりました。また保険会社からの奨学金は通常時も2学年からもらい続けていたのですが、留学後の5年でも奨学金をもらえるということを聞いていたのですが、その条件は最短修業年数以内に留学を終えることであったため、4月後期から5年前期まで留学する私は対象外となりました。

 

④は②と同様キャンパス移転により、部活動の場所がなくなったため起きた問題です。次のキャンパスはグラウンドや体育施設がなく、私が所属していたのは学部の体育会系部活動だったため、他キャンパスでは優先順位が下がり、体育施設を予約することができないことが予想されていました。これに関しては留学にさほど影響はないですが、コロナのため直接OBさんと会うことができず、なかなか廃部への理解を得ることができませんでした。そのため渡航ができないその時、自分も主体的にその問題に取り組む必要がありました。

 

コロナによって以上のような問題が発生し、先行きが見えない状態であったため、日々考えが変わったり、自分の中でも最適解がなかなか見つかりませんでした。

緊急事態宣言発令 学生にとってもなかなかつらい期間です

大阪の感染者数が増えているということで、大阪府から大学のほうにオンライン授業に切り替えるよう要請が来ていました。今週からもっぱらオンラインになっており、引きこもり生活を送っています。そしてさらに追い打ちをかけるように緊急事態宣言の発令もすぐそこに迫っています。

私は2年前に先輩から誘われて、個人経営の飲食店でアルバイトをしています。コロナ前は繁盛していて、常連さんでにぎわっていたのですが、コロナ禍になってからは常連さんの中でも福祉・医療関係で働いていらっしゃる方やご高齢のご家族と同居・介護していらっしゃる方も多く、かなり閑散としています。そして長い間行かないと段々足が遠のくのかもう1年以上いらっしゃらない方も。ご新規さんは以前だったらふらっといらしてくれていたのも、チェーン店じゃない限りなかなかふらっと出かけて食べる機会もなく、増え無さそうな感じです。

そして衝撃的なのが、前回の緊急事態宣言時に出されると言われていた時短営業協力金がまだ支払われていないのです。大将はパソコンの扱いが苦手で、代理で申請したのですが、待てど暮らせど審査中のまま。お金が入ってこないのに、次の休業を余儀なくされるのはつらいところです。

聞いた話によると、前回の緊急事態宣言の際には、終了2日前に警察と税務署がタッグを組んで、8時以降の営業をしていないかガサ入れを行ったらしく、結構なお店が協力金をもらえなくなったらしいです。別の市で起こりうることですし、今度は罰則も付くそうなので、何が何でもお客様には帰ってもらわないと困りますね。

ここまでお店について話してきたのですが、学生にとっても痛手ではあります。引越しをして通勤時間が伸びたにもかかわらず、日に2・3時間しか入れないとなるとかなり面倒なうえに、シンプルにお給料が半分になります。他にもバイトはあるのですが、どれも短時間でまとまったお給料が入らず、このままだと生活できないので、新しいバイトを探している最中です。

初めての一人暮らし 救世主現る

三年前の春、大学に通うため九州の田舎から北摂に越してきました。

荷物を送ってしまえばよかったのですが、キャリーケース2個に詰めてやってきました。新幹線と北大阪急行の乗り継ぎまではよかったのですが、バス乗り場でまた混乱。思えばそれまでバスに乗ったこともほとんどなく、ましてやICカードなんて地元では導入されてません。若干白い目を向けられながら、バスに乗り込みます。幸いバスは空いており、大荷物を抱えての乗車も問題はなかったのですが、今度は行き先が不安になります。実は一度も大学寮の下見をしたことがなかったのです。車掌さんに尋ねようとするが地名が読めません。結構難しいですよね、大阪の地名。その後なんとか車掌さんに地名を当ててもらい、事なきを得ます。

次の日は早速大学の他のキャンパスに行く用事がありました。グーグルマップでキャンパス名を検索して移動していたのですが、なんと違う大学の同じ市内のキャンパスがスタート地点に設定されており、まったくでたらめな方向に歩いていたことが発覚。残り一時間しかありませんが、公共交通機関の場所が分からないうえに、正当なルートを使っても40分はかかるそうなので、今から戻っても厳しそうです。

 

たどり着いたのはアヤハディオ。店員さんに道を尋ねると、喜んで近くのお花を見ていたご夫婦のところまで案内されました。なんででしょう?
「あのー。すみませんがこのキャンパスまで行くにはどうしたらよいでしょうか。」

思い切って尋ねてみたところ、ご夫婦も実は最近引っ越してきたばかりだそう。なぜ案内したのかお互いさっぱりわかりませんが、いよいよどうしようもないことが分かり落ち込む私。
「私たち今日は車で来たの。不安でしょう。時間もあるから、あなた送っていってさしあげたら。」

「そうだね。これも何かの縁だ。乗りなさい。」

お二方はわざわざ買い物の手を止め、親切にも大して近くもないキャンパスまで送ってくださいました。往復で一時間半は費やしてしまいます。最初は申し訳なくて断ったのですが、最終的に二人のやさしさに甘えることにしました。そして無事に時間内に到着。何かお礼をと思い、申し上げたのですが、お二方とも気にしないで行きなさいと帰って行かれました。

 

あれから3年経ち、再びお二方とお会いしたことはないですが、この親切でスマートな行動は今でも忘れられません。お二方に近づけるよう、日々精進しています。

 

はじめまして。パナップです

こんにちは。パナップです。
北摂に住み始めて早四年。長いようで短い年月もあと一年しか残されてないことに気付き、大阪の良さや在学中にあった今思うと笑ってしまうような出来事を書き留めたいと思いブログを始めることにしました。基本的に日記のような形になるのでごゆるりとお付き合いください。